ゲームの表現は記号的でいいのかもしれない

ゲーム

ゲームの進化は映像や演出や容量の進化でもあるがそれが面白さに繋がるか疑問

ゲームについての完全に自分の勝手な独断や感想なので、時間のある人だけ見てくれたらいい。

これは世代的なことなのかもわからないけど、自分はファミコン、スーパーファミコン、プレイステーション、プレイステーション2と、ゲームが2Dの簡素な表現から3Dのリアルな表現に変わっていく過程を体験している。
一世代古いゲーム機で遊んではいたけど、順に遊んではきているから体験はしてきているし、PSPくらいまでだが最新ゲーム機の熱気や当時の雰囲気も覚えている。

それが前提での話になるけど、3Dでのグラフィック表現になるほどよりリアルに、より細かい描写ができるようになっているのを感じていた。
ファイナルファンタジーなんて初期はそうでもなかったが、FF6あたりから急にグラフィックや演出面が桁違いに向上した。
それ以降、FFは次世代機のグラフィックを最大に活かしているゲームソフト、というイメージがあった。
次いで他のゲームでも美麗グラフィックに壮大なストーリー、プレイ時間のボリュームアップやシステム面の斬新さなど、一つのゲームでも様々な工夫が施され、それによってドンドン進化していってるような気がしていた。

ただ、今ゲームを遊んでいて思うのは「面白さより面倒くささが上回る」ということ。
これは人それぞれ、置かれた状況や環境、当人の精神面や財政状況、年齢や世の中の雰囲気など、色んな要因があって感じ方は違うだろうけど、ゲームが面倒くさいと思うようになっている。
ゲームをあまりやらなくなったのは25歳くらいからだろうか。
それまでは仕事から帰ってはゲームをしていたけど(友人らと外で遊ぶこともある)、何だかやらなくなってきた。
今振り返ってみたら、実生活のことが頭のどこかにあって純粋に楽しめなかったように思う。
そして、そういうのを抜きにしてゲームについて考えてみると、ゲームは確かに進化しているとは思うが、それが必ずしも本質的な面白さに繋がっているかは疑問だ。

3DのRPGを遊んでいて面白さよりわずらわしさが上回ってきた

プレイステーション2を遊んでいる当時から、「ん?」という感覚はあった。
ゲームの映像がよりリアルに、より細かく表現されるようになっていくにつれて、キャラクターの動きもリアルに細かくなっていった。
しかしそのせいで、無駄に感じる動きも多くなっているように感じていた。
ボタンを押して物を持つ、この一連の流れが2Dのゲームだと一瞬で終わっていたのが、3Dのゲームだと細かい動きが出るため、ただ物を持つという一つの動作だけとっても長く感じる。
とても重要なことをやるのであれば、それは細かく描写してもいいのかもしれないが、いちいち民家のツボを調べるだけでそんな時間かけなくても・・・、と思ってしまう。
これはゲームによって表現が違うからどれも同じようには言えないけど、それでもやっぱり一動作の時間が長いな、とは感じる。

街を出てフィールドを進んでいる時も、2D描写だとプレイヤーはキャラも地形も俯瞰で見れるがために行き先も分かりやすかったり、画面そのものを地図として見て遊ぶ感覚がある。
3D描写だと、プレイヤーはキャラ越しに前面を見ることになるが、その時点で東西南北や自分が今どこにいるか分かりづらい部分がある。
もっと細かく描写されているものについては、ミニマップを見ながら進むという状況になり、それだとせっかく3Dで綺麗に作られている世界があっても、2Dで表現されたマップを見るという本末転倒なことになる。

3D表現が活きるゲームはめちゃくちゃ進化の恩恵を受けられる

グラフィックや演出や容量などが進化した恩恵を受けるゲームジャンルがある。
アクション、シューティング、レース、などがそれに当たるか。
自分は子供の頃からアクションゲームが好きで、表現がよりリアルになることによって出来ることの幅も広がっていったので、ゲームの進化は歓迎していた。
レースゲームもファミコンの簡素な見た目のものも良かったが、初めてプレステ1のグランツーリスモを遊んだ時は、もう実写じゃんと思ったものだ。そしてドハマリしてレースゲームの魅力を知った。
ステルスゲームも好きで、プレステ1のメタルギアソリッドを遊んだ時にはこんなに面白いゲーム体験があるのかと驚いたし、同シリーズが進むにつれてより細やかな隠密行動ができるようになっていくのも、楽しくて仕方がなかった。

逆に、グラフィックや演出や容量などが進化した恩恵を受けにくいゲームジャンルもある。
RPG、アドベンチャー、ノベル、パズル、などがそれに当たるか。
たまたま遊んだRPGが3D表現を活かせないものだったのかもしれないけど、どうしても煩わしさが上回ってしまう。
アドベンチャーやノベルもグラや容量が増えた恩恵を受ける部分もあるが、究極的にはスーファミのかまいたちの夜や弟切草などでも十分素晴らしい表現ができている。
むしろああいったグラフィックの方が、より怖さやおどろおどろしさを魅せる演出として良いまである。
パズルゲームなんて、最近のものでもそこまでグラフィックに力を入れているものはあまりないように思う。
パズルこそ、映像よりもシステムやアイディアが重要だと思うし。

キャラクターボイスはいらない

声がでるゲームが出始めた頃は、単純にゲームで声が出る、キャラクターが喋るという事に驚いていたし、ここまで進化してきたかと思ったものだ。
が、テンポよく遊ぶという面においては邪魔だと感じる。
セリフが画面に表示された時、見て認識する速度と音声で聞いて認識するのとでは、圧倒的に目で見た方が速いと感じる。
セリフが文字として出ている中でキャラクターがその文字をなぞるように喋ると、内容はもう分かっているのにキャラが喋り終わるのを待つ形になる。
それなら喋る速度と画面に出る文字を同じ速度で表示すればいい、となるかもしれないがそれだと遅く感じる。
いっそのことセリフを文字として画面に出さず、キャラボイスの音声だけが表現されたらいいのかもしれないが、それでは出てくる文字と同じ速度で喋るのと変わらない。
実際、キャラクターの音声がオフにできるものはオフにしている。
戦闘での掛け声や技名を言う程度は全然いい。むしろ迫力が出るからあってほしいとすら思うが、それ以外のイベントシーンなどで長々と喋るのは長ったらしく感じる。

昔のゲームを今も楽しめるのは感性が枯れているからか?

こういう話をすると、決まって「お前が歳をとったからだ」「お前の感性が枯れているからだ」「ゲームやめたら?」「昔のゲームだけやってろ」と言われるだろうが、ゲーム自体が嫌いなわけじゃない。
しかし言わんとしている事はわかる。
歳もとったし、感性も枯れたり衰えたりしているだろうし、ゲーム以外にも面白いものはあるし、昔のゲームだけやればいいとも思う。
実際に年齢や環境が変わっていくにつれて、ゲームの好みが変わっているのも感じる。
昔はアクションをガンガンやっていくのが楽しかったのが、今はそういうのはちょっと疲れるかなとなって離れているし、同じアクションでもステルスゲームのようにじっくり進めていくものを好んでいる。
パズルゲームにあまり興味がなかったが、今では短時間でサクッと遊べるパズルもいいなと思うし、RPGでもどちらかというとアクションRPGが好きだったのが、コマンド式のゆっくり遊べるRPGも良いとも思うようになったし。

結局僕自身のわがままやこうであって欲しい、みたいなのを今のゲームに押し付けるような形になっているんだろう。
だからこういう事を言うと老害とまで言われてしまうのも分かる。

コントローラーを操作して遊ぶまでの時間が長すぎる

自分の老化や感性の衰え、好みの変化を受け入れたとしても、これは良くないだろうと思うことがある。
それは、「ゲームを起動してから遊ぶまでが長くね?」ということ。
ゲーム機の電源を入れる、ゲームソフトを起動する、ロード時間、ゲーム会社のロゴ、何かよくわからんロゴ、またよくわからんロゴ、タイトル画面、ゲームスタートを押す、ロード時間、ゲームの操作開始・・・、いや長いわ。
レトロゲームの良さを一つ上げるとすれば、「起動からゲーム開始までの時間の速さ」があると思う。
ファミコンなんて最速だよ。カセットを本体に挿して、電源入れたらすぐ遊べる。
ゲームボーイもスーファミもかなり速い方だね。
プレイステーションあたりから、ゲーム機電源オン、PS本体のロゴ、PSソフトのPSロゴ、ゲーム会社のロゴ、ロード時間、という具合に「あれ?長いな」ってなってきたかも。
でもニンテンドー64はファミコンやスーファミみたいにすぐ遊べるし、カートリッジからディスクになってから長くなったのかな。
でもここは、ディスクになった事により安価かつ大容量のゲームを遊べるようになったから、良くも悪くもトレードって感じはある。

PS2ではゲームを点けてから遊ぶまでの時間が若干短くなった気はするけど、PS3から事前にインストールするとか、もう遊ぶ前に待って当たり前になってきたし、インストールしてからも結局長い。
正直、ゲームを遊ぶだけなのに、起動の遅さやゲーム開始後のロゴ表示などが邪魔くさいためにやらなくなるのって、何だかもったいないように思う。

スマホでゲームをやる人が多いのは、きっと「手軽さ」も大きいんだと思う。
もちろん無料で遊べるものも大量にあるから、それで暇つぶし程度に遊ぶ人がいるんだろうけど、でも常に持っていてパッと開いてすぐ遊べる、って流れはゲームをやる上において最強だと思うけどね。
じゃあそのスマホゲームでも、美麗グラフィックに大ボリュームで感動的なストーリーで、みたいなゲームが好まれているかと言えばそうでもなさそう。
あくまでも「ゲーム」として遊んでいるだけ。遊びの一つだ。

記号的なゲーム表現でも楽しいものは楽しい

シンプルな見た目ゆえに想像力が働く、というのはあると思う。
ファミコンとまではいかないが、スーパーファミコン中期くらいのグラフィックであれば今でも全然通用すると思う。
それはゲームとしての基本的な面白さは、グラフィックも音楽も重要ではあるが、「やってて面白い」と感じる部分の有無にあるからじゃないか?

その「面白い」の部分は人によって様々だから、システムが面白い、アイディアが面白い、操作しやすい、とか色々だし、グラフィックが良いから音楽が良いから遊んでいる、という人もいるだろう。

極端な話にはなるが、麻雀や将棋などが今も遊ばれているのって、映像や音楽が良いからなのかと言えば違うだろう。
そのゲームシステムやルールなどがあって、その中で「自分で考えて選択する」こと自体が面白いんじゃないだろうか?
だから、麻雀も将棋もゲームボーイのソフトでもスマホのアプリでも、同じように楽しめる。
それはそのゲームの根本部分が面白いからだ。
だからもし今どきのゲームで面白いと評判のものがあったとしたら、それは今の最新ハードでしか表現できない部分は別として、そのゲームの根幹部分が面白いから評判なんじゃないか?
実際、少し古いけどゼルダの伝説ブレスオブザワイルドというゲームが面白いと評判だ。
じゃああのゲームが超美麗グラフィックかと言われれば、確かに綺麗ではあるけど一定レベル以上かなと言う人が多いんじゃないかな。
それよりも、「自分で自由に考えて探索して鍛えて遊べる」というコンセプトが面白くて、どこからゲームを進めても、どんな風に進めても楽しめるというのがあのゲームの面白さだと思う。

そう考えると面白いゲームって何?と問われた時、「自分で考え、選択でき、それらを実行できる」という仕組みがあるゲームが、面白いゲームなんじゃないかという答えになる(僕の個人的な見解ね)。
だとすれば、ゲームはファミコンやゲームボーイ並の記号的表現でもいいんじゃないかな。とそう思う。

無理やり記号的表現でもいいのかもしれない、という結論につなげたけど、「ゲームに遊ばされている」「シンプルなのでいい」という人も一定数いるだろうから、反感もあるだろうが共感もある話じゃないかな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました