もう18年くらいテレビを見ていないし不便もない

勝手な考え
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

テレビが壊れたのをキッカケに見ないようになる

20代前半に一人暮らしを始めた時、実家で使っていた古いテレビも一緒に持って行っていた。
かなり古いテレビではあったが、番組を見たりゲームをしたりするのには必要十分だったのでそのまま使用していた。
ところがある日、テレビ番組が急に映らなくなってしまった。
ザーッという砂嵐の画面のまま、室内アンテナをかまっても、チャンネルを変えても、リモコンや本体で色々操作しても、テレビ番組が表示されない。
ゲームを繋ぐと普通にゲーム画面は表示されるので、テレビ番組だけが見れない状態になってしまった。

もともと自分がテレビで見ていたのは夜のバラエティ番組で、毎日ではないが特定の気に入っていた番組を見るために使っていた。
しかし、前々からテレビを見ていて気になっていた事がある。
「見たい番組を見終わった後、惰性でその次の番組も見てしまう」という事だ。
例えば夜9時の番組を見たら、そのあと10時に始まる番組もそのままの流れで見てしまう、といった感じ。
そこまで見たいわけでもないのに、ついダラダラと見続ける。
これに対して若干違和感というか、無駄な感覚は前からあったが、それでもそこまで気にするわけじゃなく見続けてしまっていた。

そんな中でテレビが壊れた。
これはもう、テレビ離れするいいキッカケじゃないだろうか?と思い、新しいテレビを用意することもなく、ゲーム専用テレビとして使うことになる。
実際にテレビ番組を見なくなったことにより、先述の違和感をハッキリ意識し始めたのもあったから、逆に壊れて良かったとも思っていた。

テレビ番組を見なくなってできた時間で新しい趣味ができる

テレビを見なくなってからというもの、壊れたテレビでゲームをするとは言っても四六時中やっているわけではない。
朝起きて、仕事に行って、帰ってきてメシ食って、風呂入って、テレビを見る、ゲームをする、という1日の流れだったが、その中のテレビを見る時間がなくなっただけで、その分ゲームをする時間が増えたわけではなかった。

たまたまその時に知り合いから本を貰っていて、積んだまま未読の本があったためそれを読んでみることにした。
読み始めてみると意外と面白い。
「あれ?本を読むのって結構いいな」と思うようになってからは、書店に行って気になる本を買って読む時間が増えていった。
この時から、自分は本を読むことが生活習慣の中に溶け込むようになっていったので、テレビが見れなくなったからこそできた空白が読書に結びついた。

今でこそ本を読む事は自分にとって当たり前すぎる日常だが、その当時は自分が本を読むなんて全く想像もしていないし、何なら興味がないというか自分とは無縁の世界だとすら思っていた。
最初に読んだ本がかなり読みやすい自己啓発本だったのが良かったのかも。
今でこそ自己啓発本を読むことはなくなっているが、当時はそういった本のジャンルすらわからなくて、読むもの全てが新鮮に見えた。

テレビが無い生活をしても意外と不便さを感じなかった

テレビを見なくなったのが今から18年前だとすると2006年頃(現在2024年)か。
一応ニュースも見たりはしていたけど、だいたいバラエティかドキュメンタリーばかり見ていたな。
だからかもしれないが、テレビを見ていた時と見なくなってからで何か変わったという事はない。
読書習慣がついたのは嬉しい誤算だったが、もともと見なくても人生への影響が少なかった番組ばかりだったからかもしれない。
ニュースも見なくなったから、周りの先輩たちが時事ネタを話している時についていけない場合もあったが、たいてい仕事の話か趣味の話が多かったので、仕事をやる上でもそこまで影響は出ていなかった。

逆にゆったりとした自分の時間が持てている事に驚く。
テレビを見ているとあっという間に時間が過ぎていて、もう寝なきゃいけないとか風呂入らなきゃとなっていたが、テレビのない無音の部屋で過ごしていると、かなり時間の流れが遅いと感じた。
ゲームをやっていたり本を読んだりすると、集中しているからか時間の流れは早く感じていたが、それでもダラダラと見ていたテレビで時間を失うよりも良いと思う。

当時はまだガラケー(携帯電話)だったのもあり、ガラケーでできるネットサーフィンなんてたかが知れていてそこまでハマらなかったし、パソコンも持っていなかったので本当に家にいる時間は静かでゆったりとしていた。

今もテレビを見ない生活

あれから18年、今もテレビを見ない生活は続いている。
最近の若い人もテレビを見ない人が多いらしいが、その分ネットを見る時間が長いのかもしれない。
偏見かもしれないが、テレビでバラエティを見るのも、ネットでユーチューブを見るのも、根本は同じような気がする。
確かに面白いし、自分にとってつらい事があった時に、そういった番組を見て一時的にでも嫌な事を忘れられたり、心が明るくなったりという効果もある。
でも面白いだけについついあれもこれもと見続けてしまうんだよね。
ユーチューブで動画を見ていても「おすすめ」として関連動画が表示され、それをまたついクリックして見てしまう。
これって、若い頃の自分がお目当ての番組を見終わった後も、惰性でつい別の番組まで見てしまうのと似ているような気がする。
作っている側はとにかく見てもらうために一生懸命考えて作っている。
だからこそ一旦それらを見ると抜け出せなくなってしまう、そういう仕組の上で成り立っている。

昨日の日記にも書いたが、最近はネットから少し距離を置いている。
これもテレビから離れた時のように、惰性で色んなものを見続けてしまうことに疲れているからじゃないかな。
だから静かにゆったり過ごしたいという欲求が出ているのかもしれない。
テレビも見ず、ネットも見ず、ゆったりと過ごす。
前に知人から「お前は仙人みたいな奴だな」と言われた事があるが、正直仙人には憧れる。
話を戻すと、テレビがなくてもそこまで不便はない。
バイクに乗っている時は天気予報のチェックが欠かせなかったが、それもスマホに天気予報アプリを入れておけば、常に表示されているからテレビで天気予報を見る必要もないし、最悪天気予報なしでも何とかなる。

久しぶりにテレビを見て感じたこと

あ、そうそう、前に病院に行った際、待合室で久しぶりにテレビを見た。
時間帯は朝の9時過ぎくらいだったけど、テレビでは朝の報道番組が流れていた。
見ていて驚いたのは、一つの情報を延々とあーでもないこーでもない、と引き伸ばしているテレビ番組の作り方。
たまたま見た報道番組がそうなのかもしれないけど、それにしても酷かった。
「この日時、この場所で、こういう事がありました」で済むだけの話を、コメンテーター数人がずっとウダウダ言っている。
ニュース1つとっても人それぞれの考え方があり、それを各コメンテーターが自分なりの意見を言っているだけかもしれないが、「それいる?」ってなった。
何でこういう事が起こったか、今後起こさないためにはどう気をつけたらいいか?という専門家の話は大事だなとは思ったけどさ・・・。
こういうのを見ていて、「ああ、テレビから離れて良かったな」としみじみ感じた。
ずっとダラダラ見続けられるからこそ、テレビを見ることは怖いなと思った。

何だか今日も愚痴みたいになってしまったけど、テレビで人の人生をああだこうだ言ってるのを見るより、自分が何が好きで、どうしたくて、そのためには何が必要で、とか自分の人生をより良くしていく情報や人や物事に関わる時間を増やしていきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました