何か邪魔くさいな・・・という違和感からデータ断捨離が気になる
最近、スマホやパソコンや外付けハードディスクなど、見ることもないのに容量だけとっているデータが多いと感じだしていた。
データが多いことによって「あの画像、あのデータ、どこにあったかな?」と探す時に時間がかかる。
探すということは必要な情報なのだが、不要な情報に埋もれて探しにくい。
そういう普段不要としているものをザッと見ていくと、もう二度と見る事もないというものが大半だという事に気づいた。
自分の家の中にある物理的なモノの断捨離も過去にした事があるが、その時は結構スッキリしたり、今まで囚われていたものから抜け出せた感覚があったり、割と良い面はあった(悪いと感じた面もあったので、過去に行った断捨離についてはまた書こうと思う)。
そこで、とりあえず外付けハードディスクに入れてあるデータから断捨離していく事にした。
自分なりのデータ断捨離の基準(画像や動画など大きい容量のもの)
過去の断捨離で失敗した時は、「大事な思い出の品、二度と手に入らないもの、買うことができないもの」なども勢いで捨ててしまい、後に後悔が出てきたため、今回のデータ断捨離ではそこに気をつけて、しっかりと捨てるもの残すものを精査していくことにした。
断捨離の本なども軽く見てみたが、何だか長ったらしくて頭に入らなかったので、自分の過去の失敗と自分の今の感覚で基準を決める事にする。
まず基準を自分なりにいくつかの段階に分けてみる。
1、全く見ないもの、心動かされないもの、必要性が全くないもの
2、たまに見るかもしれないもの、心に引っかかるもの、たまに必要になるかもしれないもの
3、よく見るもの、心にくるもの、必要性を感じるもの
大まかに3段階に分けた。
そして、僕なりの断捨離では「一度に一気に断捨離をしない」というルールを設けた。
これは過去に一気に断捨離した経験からで、その時は「断捨離ハイ」みたいになって高揚感でバンバン捨てていたが、少し期間が経ってから「しまった。あれは必要だった。もう二度と取り戻せない」という大きな後悔があっためだ。
だから断捨離するデータ(もの)は3段階にわけるが、それはまずザッと仕分けをして、少し間をあけて再度仕分けをして、を繰り返しながら徐々に断捨離を進めるためでもある。
1は問答無用で捨てることにしたが、その中でも「でもいずれ見るかも、必要になるかも」という考えが出てくる。
その場合は1だと思っていたけど実は2なので、一旦残しておく。
この時大事なのがさっきも書いたが、「一度に一気に断捨離しない」という考えだ。
1だと思ったものでも引っかかるなら、一旦2の評価にして残しておき、また精査する時に再度評価をする。
それでもまだ迷うならまた残して、次また断捨離の時に・・・を繰り返す。
時間がかかって嫌だと思う人もいるだろうが、これは僕の経験からくるやり方なので、一気に捨てた方がいいという人はそうするのがいいと思う。
3は残した方がいいものなので、それは捨てない。
1と2と3、この段階評価を軸にしつつ、一度に全て断捨離しない。
こういうやり方で自分はやっているが、結構データ量が多かったり迷ったりしていたので、1日おきにやったりしている。
過去に行った断捨離での失敗と後悔と一番大事なこと
あと断捨離する上で一番大事だと思う事がある。それは、
「精神的に疲れている時、つらい時、苦しい時、体調不良の時、などは絶対に断捨離をしない」ということ。
断捨離のやり方云々より、この考え方が一番大事だと思っている。
なぜなら、僕自身が過去の断捨離で失敗した理由がコレだからだ。
その当時は精神的に苦しんでいた時期でもあり、そんな状況を打破する一つの手段として断捨離をする事も頭にあった。
だから、勢いにまかせてガンガン捨てていったが、そもそも自分の心が良い状態ではないので「捨てるか残すかの判断が不安定、またはネガティブな判断が軸になっている」という失敗があったためだ。
この「冷静な判断ができない」というおかげで、僕は思い出の品や、お金を出しても買えないものなどをあっさり捨ててしまった。
写真に撮って残すこともしなかったし、今思えば写真に撮っていたとしても、「そのモノ自体」の物体というか、それが現物としてある事によって、自分の思い出が頭に浮かんで心が癒やされる、ということもある。
断捨離の本やサイトを見ると、思い出の物を捨てる時は写真に撮っておくと良い、みたいな話も出るが、自分はその考えに対しては微妙な気持ちだ。
僕がレトロゲームを集めるようになったのも、過去の断捨離の失敗が確実に影響している。
例えがゲームにはなってしまうが、多少値が張ったとしても一般流通したゲームなら買い戻すことはできる。
しかし「子供時代、親に買ってもらえて嬉しかった思い出のゲーム。その時の情景が浮かぶ」という、その当時に得た「現物」が大事だったりする。
そのゲームのパッケージを実際に手に持ってみると、パケ絵の見た目、色、重さ、匂い、触感、など写真では得られない膨大な量の情報がある。
それらがトリガーとなって当時の嬉しかった情景が蘇る。
その現物を「また同じものを買えるから」と手放しても、次に手に入れた同じものは同じものにあらず。
「親に買ってもらった」という他に代えがたい付加価値が、その現物にはあったからだ。
だから買い戻せるから捨てていい、とは僕は思わない。
これはゲームでの例えではあるが、実際に僕が捨てて後悔したのは、子供時代に一生懸命描いていたイラストや漫画だ。
それらは、久々に手にとって見るだけでも当時の思い出が蘇っていたし、勉強もせず夢中で描いていたのもあり、自分の幼い頃を真剣に生きていた証みたいなものだった。
親から買ってもらったゲームも、初めてバイトで得たお金で買ったCD、他にも色々あるが、一つだけでも残していれば・・・という思いは今もある。
たまに夢の中で二度と手に入らない思い出の品を追い求めてもがき苦しむ、という内容のものを見ることがある。それは今でもだ。
だから、形としてモノ自体は断捨離はしたものの、結局心の中での折り合いは全くついていなかった、ということになる。
一度で一気にやらず繰り返し繰り返しコツコツデータ断捨離をやる
話がそれてしまったが、僕はそういった経験からデータとは言え多少慎重に断捨離を進めていた。
今は概ね8割くらい断捨離済みって感じになってきたが、少しずつ少しずつ選別し、2のものに関しては同じものでも何回も「これは残すものか?」を自問自答した。
ただかなりの量のデータがあったので、気になるけど割り切って捨てたものも結構ある。
まずは「これは絶対に残す」という3番目の選択肢のもの。
これを別のフォルダを作り、そこに入れてしまう。
もう少し細かく選別の流れについて書くと、
(1)
まず、「1、全く見ないもの、心動かされないもの、必要性が全くないもの」、「2、たまに見るかもしれないもの、心に引っかかるもの、たまに必要になるかもしれないもの」、「3、よく見るもの、心にくるもの、必要性を感じるもの」の選別をしていく。
最初に「残すものフォルダ」を作り、そこに3のものは入れる。
1のものは捨てる。
2のものは一旦そのまま残す。
注意点として「気分が優れない時や精神的にきつい時や体調不良時は、絶対に断捨離自体をやらない」。
(2)
(1)で行った事を、少し期間をあけてまたやる。
僕の場合は1日あけてやったり、毎日少しずつ選別をしていた。
量が多すぎて全部の仕分けをできなかったのもあるから、少しずつ少しずつやっていった。
(3)
(2)でやったことを、また期間をあけてやる(僕は1日おきに少しずつ)。
この時だと2の迷うものがそこそこ増えているので、1や3の仕分けがある程度終わっているなら、この2の選別をまたやっていくことになる。
ここでも大事なことは「あせって断捨離しないこと」。
(4)
またまた同じように期間をあけて選別するが、ここらへんまでくると結構1と3の選別は終わっていたりする。
なので2のものを中心に、心が落ち着いている時に仕分けをしていく。
でもあせらない、小さくコツコツやっていく。ここまで仕分けをしてもまだ2として気になるなら、いっそ3として扱うのもいいかも。
基本的にはこの流れをずっと繰り返して断捨離を行っていた。
過去の失敗から気をつけてやっていたから、心の中に後悔はほぼない。
それどころか、だいぶスッキリしたおかげで必要なデータを探す時にすぐに見つかるし、ストレージ(外付けハードディスクなどの容量)もかなり空きができた。
今回は画像や動画など容量の大きいものメインに断捨離を行ってきたが、これでもまだ他にもメールやPCで書いていた日記など、他ジャンルのデータの断捨離もやる予定なので、ゆっくりあせらず、心を落ち着けてコツコツやっていこうと思っている。