押入れの中にあったテレビ6台を断捨離した

断捨離

なるべく大きなもの、そして使っていないもの、今後使う予定がないもの。
これらを優先的に捨てる事にして断捨離を行っている。
前回の日記で、部屋の中に置いていたサンドバッグやテーブルやらを片したことで、部屋が少し広くなった。
部屋が広くなったことで動きやすくなったため、次は押入れの中のものを処分していこうと思って押入れを開けると、出るわ出るわ昔使っていた古いテレビ。
サイズは17インチや21インチと微妙だけど、全てがブラウン管テレビ。
しかも合計6台もあったからまいっちゃうね。
新しいテレビを買うたび古いテレビは押入れに、とやっていたからドンドン溜まっていったのだろう。

とりあえず、その中で比較的新しめのテレビは実際に電源が点くか試したが、うんともすんともならなかった。
点くならレトロゲーム用にでも使おうかなと思っていたけど。
でもテレビを軽く拭いたりはしたけどそれでももうボロボロで、保存状態もそこまで良くなかったのもあり、全部処分することにした。
今の薄型テレビと違い、昔のブラウン管テレビは幅があるぶん場所を取る。
だからこそ、こういうのを放っておくと面倒だなと感じたから余計に処分したいという気持ちになった。

昔実際に使っていたテレビで思い出もあるものなので、それぞれのテレビを写真に撮って保存した。
もう使うことはないとはいえ、写真に撮るだけでも捨てる事に対する心理的負担が減るから不思議だ。

さっそくテレビを車の後部座席とトランクに持っていくが、これがまた重い。
夏の炎天下の中、汗だくになりながらウンウン唸ってテレビを車に積んだ。
近所の家電量販店に行ってリサイクルをお願いする。
事前にその量販店のリサイクル料金一覧をネットで調べて見たが、だいたいそこで計算したのと同じくらいの金額だった。
リサイクルにかかった費用は、テレビ6台合計で25,000円ほど。
手痛い出費だが、これだけでも押入れの中がかなりスッキリしたし、まぁしょうがない。

後日、テレビをリサイクルに出した事を知人に話したら、「ネットで売ればいいのに。古いブラウン管テレビなんて、欲しがるマニアとかいるでしょ」と言われた。
確かに。
最近はレトロゲームもレコードも、古いおもちゃや家電も一部で人気があり、実際に価格も高騰している。
でもネットで売らずにすぐに捨てた事に対して、あまり後悔はなかった。
目先の金が目当てなら売る方がいいけど、自分はすぐに家の中のモノを手放していきたい衝動があって、こうして断捨離をしていっている。
ネットで売るにも手間がかかる。
商品写真を撮って、説明文を書いて、値段付けて、落札者とやりとりしたり、発送の手間、お金の確認、色んな手順を踏んでようやく処分できる。
それだと時間と手間がかかりすぎるし、何よりすぐに手放せない。
落札されなければ、その間ずっとその物を家に置いておく事にもなる。

最近、モノを置く事について面白い話を聞いた。
ちょっとスピリチュアルっぽい話だけど、妙に納得できる部分もあったので書いてみる。
モノというのは、そこにあるだけでエネルギーを発している。
普段使っているモノならいいけど、特に使っていないモノはマイナスのエネルギーを発しているという。
そして目には見えないけど出ているそのエネルギーは、そこに住んでいる人間にも影響を与える。
だからモノを溜めるという事は、それだけ受ける影響も大きくなるという事。
そして、何で皆モノを置きたがるかというと、それは「安心したい」から。
自分が安心したいから、家の中もそうだし、冷蔵庫でも何でもモノを置きたがる、溜めたがる。
というお話。

この観点から見ると、テレビを売るためネットで云々するより、すぐに処分して良かったと思った。
その時は家の中のモノの断捨離を始めてもまだまだ物が多かったけど、この日記を書いている今は家の中の8割ほどのモノを処分し終わっている。
テレビを断捨離したのが7月半ばで、その後もバンバン断捨離をしていったから。
その話は次回以降もしていこうと思っているけど、実際にモノを処分すればするほど家の中の空気が変わっていくのを感じていた。
今までズーンと重かった空気が、軽く清々しくなっていくイメージ。
ただモノを減らしただけでこんなにも変わるのか、と思ったのを覚えている。
そうした体験があったからこそ、さっきの「モノはそこにあるだけでエネルギーを発している」という話が妙に納得できた。

とりあえず今日は、テレビを処分しましたというお話。

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